インド コルカタからの入国の巻

安い航空券を買うと後から後悔する事が多い。というのも安さに目がくらみ、急いで買わねば!という精神的プレッシャーに押され、予約のボタンを押してしまうのだ。そうすると変な時間や、「どうしてこの街にしたかな…?」的な目的地になっている事がとても多い。
さらに言うと私は飛行機に乗るのがとても嫌いだ。

続きを読む

マレーシア 色々

マレーシアに来たのはクアラルンプールからの飛行機に乗るためなのだが、これまで見てきた東南アジアの国々と色々印象の異なる点が多い。タイからビルマに行ったときもかなりの違いに驚いたのは事実だが、マレーシアもまた色々異なる。

続きを読む

そのまんま南へ

バンコクを後にしてマレーシアに向けて南下するのだが、いきなり列車に乗る前に二ヶ所程寄っていく。
一カ所目はAmphawa Floating Market。泊まっていたお寺からバイタクに乗って近くのミニバンの発着点まで行く。

続きを読む

『お坊さん』という存在がいかなるイメージで語られているか

出会ったほぼ全ての欧米人がビルマやタイに関して驚いていたことがある。それは“僧侶”の実相が彼らのイメージする物とかけ離れているということ。

続きを読む

世界の車窓だから3

予定時刻より遅れる程約20分、18時過ぎに列車はペッチャブリの駅に到着した。
寝台列車に乗るのはこれまで20カ国以上の国をうろついてきて初めて。かなりテンションがあがる。
しかし、乗ってみると普通の座席…あれ?何で?
一人で白けていると何となく理解してきた、というのも頭上に何かが収納されているのだ、最初荷物入れるスペースかなとか思ったのだが、なるほどこれが降りてきて寝台スペースになるんだな!

こんなんなりました。

私のチケットはUpperだったので、上(当たり前)。上段の方が若干狭く、何といっても窓がない!!か、かなしい…

早速寝る。がいまいち寝付けない。

なんども時計を見て徐々に徐々に朝に向かっていく。下の人は爆睡してたのか、中々起きないため、席を元に戻せない。つまり外が見えない。仕方がないので、席を移りそこから外を眺める事に。

9時頃にボーダーに到着。その少し前から両替屋のおっちゃんが入ってきたので2000バーツほど両替。

国境越えてからの電車は日本の電車のように壁面に沿って席の並ぶタイプ。
韓国人ファミリーが側にいたので、ちょっとお話をし、バンコクで貰った食べきれないフルーツをあげた、というかたべてもらった。

持つべきものはお坊さんの知り合い?

タケシさん(仮・タイ人です)の暮らすお寺にやって来た。位置的には王宮や国立博物館のある辺りのチャオプラヤ川を挟んだ向かい側に位置する。少し南に行くとWat Arunがあり、中々ロケーションが良い。
川向こうに行くには一般的には3バーツを払って船に乗るのだが、近くに海軍施設があり、そこに行くと地元民?(軍人風の人々ばかりだったが)はフリーで渡れる様だ。


お坊さんは前の別席
「私と一緒だから乗れるんだよ、はっはっは」と言ってました。

Wat Arun

翌朝托鉢に同行。
後ろについて行く、カバンを肩から二つかけお供の人になり出発。多分30,40分程歩いて両方のカバンはパンパンになった。
歩いていると街の人が声をかけてきて、お布施?を渡してきてくれる。それもとても多様で、手作りの食べ物や、屋台で買ったもの、コンビニのチャーハン、飲み物、お菓子、インスタントの麺、野菜、お金など。
受け取り、お坊さんがお経と唱える。街の人は手を合わせそれを聞くというのがスタイルである。渡してくる人々も様々な年齢層で、日本だと何となく宗教的なものは年寄りのもの的なものがあるような印象を受けるが、若いおねいちゃんも渡して手を合わせたりしていた。
これまで色々な街でお布施を貰っている場面に出くわしてきたが、そこに混じるというのはかなり興味深い視点でこの行動を見れる。