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ヒッチハイクまで

移動手段というものは色々あるようで、限られたものである。
というのが良くも悪くもいまの世の中だなと時々思う。
LCCの登場で飛行機でお隣の国々へ行くことは、国内を新幹線で旅行する事よりも悲しいかな手頃にできてしまう。
かつて南米から帰ってきたときには
「もう飛行機には乗らない、次に旅行するときは船で行ってやる。」と思っていたにも関わらず、気がついたら航空券を予約する自分にハッとする。
船で旅行するのが安かったのはむかーしむかーしのお話の中で語られるものに過ぎない。貧しい学生が船でヨーロッパを目指したとか、アメリカに渡って行ったとか、そんなものは所詮物語になってしまうのかも知れない。

陸路を移動するとなると、日本人の多くは基本電車か車を思い浮かべると思う。しかし電車が走ってない地域なんてのも今の世の中でもざらだから、バスや、乗合タクシーはそういった国々にはなくてはならないものだということは確実である。
ただ、それは我々の思い描くモノと大きく異なることもしばしばだ。
村上春樹の「辺境・近境」を読んでいたら、メキシコで彼が体験したバスの中での出来事が語られていたが、それは約20年が過ぎた南米でも概ね一緒であった。
多分進化しているところはバスによって、映画が流れている位であろう。
「てーてれてっててーてれ、てーてれ、てーてれてって…te gustaaa…」とエンドレスで流れる音楽…約3年が過ぎた今でもあのメロディーが鮮明に思い出される。
仮に運良く音楽の流れ無いバスに乗ったとする。
「やった、これでこれからの5時間は静かな時間が過ごせる!!」と思ったらつかの間、近くの若者が、古いNokiaかなんかの、端末でもって音質の悪い音楽を流し出すのだ。
「え、みんなこれでええの?!」
という日本人の鬱屈した気持ちは誰にも共有されずに埋もれていった。

またある時は暖房が効きすぎた夜行バスで両隣をアルパカの毛に覆わられたおばさま2名に囲まれ、一睡もできなかったこともあった。
普通ボリビアの夜行バスでは暖房がつかず、何か体を覆うものが無いと、猛烈に寒いのだ。
そのため人は厚着をしてバスに乗るのであったが、珍しく暖房が入ると思ったら十分に温まっても、調整が出来ない。
さらに左右からはアルパカの温もりを超えた熱波に晒されてしまい、朝バスを降りたときにはグロッキー状態。
しかも到着したLa Pazは標高3700mを超える。泊めてもらった人の家で速攻もどした…

自動二輪車で旅をするという夢を持っているのだが、国際運転免許証が通用するのは、ジュネーブ条約の自動車に関する条項を批准している国だけであり、例えば中国やミャンマーでは自由に乗れない…
ということは、東南アジアから出発!としてもミャンマーと中国に阻まれそこから脱せないという結末が待っているのである。
昨年時間を作ってなんとか二輪免許を取得したのだが、ユーラシア横断の夢は潰えたのだった…

徒歩と自転車という自分の肉体の持つ力を限界まで行使する移動方法もあるが、それは専門家がいるから、その人に任せておけば良い。
1年ほど前に24時間歩こうと試みて、19時間で限界を迎えて電車に乗った記憶がまだ生々しく、長時間歩くのは嫌だ。