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観光地に来ると

桂林の観光と言うと、船に乗って川下り、鍾乳洞見学、そんな感じだろう。
逆に言うとそれをしないのであれば、桂林に観光目的で来た意味はほぼ無いのだと思う。
しかし、本当にそれをする必要があるのかと言うとかなり疑わしい(桂林だけでなく、多くの観光地がそうだと思うが…)と思う今日この頃。
最初の日の朝に阳朔に着いた時に見た風景、夜が明けたばかりで寸前まで雨が降っていた影響で薄っすらと霧が立ち込めている中、ぼんやりと遠くに滲む山々は本当に美しかった。
ある意味それが全てである(私にとってはということで、桂林観光自体は素晴らしいものであると思うし、基本一人だからユースにいる人達と話したりするのが主な楽しみであり、寂しがり屋の癖に何故か一人旅に出てしまった自己矛盾に満ち溢れた者としての意見である)。
ただ、わざわざはるばる来たからには一応行っておこうと思う。もしかしたら後に後悔する羽目になるかも知れない。
旅行に出てその時ケチって結局しなかった事で後悔というのはよくある話で、再びその場所に好きな時に来れる様な身分の人というのは少ない(特に南米なんかは遠いから行くのが億劫になる。これはお金の問題と言うよりも時間の問題だと思うし、逆に歳をとったり手持ちのお金が増えれば制約も増えていく。だからと言って貧乏でもそこまでたどり着くのが難しくなり、結局違った制約が生じてくる)。
結局自分の今と未来と過去とを鑑みて観光もしなければならないのだろうか?だんどん考えが変な方向に向かってきそうなので、話を元に戻したいが、要するに観光地に来るというのはトロフィーハンターと似た様なものだと思う(細かい違いは色々あるし、その事について書き出すと無駄に長くなるから、その話をしたい人がいたら言ってください。いないか…)。
自撮りしてFacebookに挙げてlikeがいっぱいつくか否かで人間の価値がはかられている時代(もう古いか?)においては現実的に観光地にいくという事があまり意味をなさない(訳でもないが)。
とは言いつつも旅というのは一種の惰性みたいなものもあるが、それでも何か発見があるものだと思うから旅をすると思うのであります。

それでなんの話かと言うと観光地は金がかかるという事である。
蘆笛岩 120元
象鼻山 75元
川下り 色々
これを高いと思うか安いと思うかは別として(ユースにいたにいちゃんは「中国の観光地は高いんだよ…」と言っていた)、当然観光業の皆様はそれで儲けているのだから仕方がない。マチュピチュに行った時もいざマチュピチュに入るぞ!とバスや乗り合いタクシーを乗り継ぎ、沢山歩いて麓の町に着いた段階でディズニーランドばりの入場料を支払った(と記憶している、正確性には欠けるかも知れないので詳しく知りたい人は調べてください)、全然知らないで行ったのでかなり衝撃的だった(事前に調べておけばいいだけの話)。

しかしここは共産党の支配する国、中国である。


ネズミーランド
資本主義に対抗する勢力としてはもう少し頑張っていただきたい。
FacebookGoogleAmazonYouTubeも使えないんだぞ!
観光地の入場料が高いだなんて資本主義経済丸出しではないか!!
どうでもいいか。