バガン しりとりならお終い

Baganに3泊したのも実は訳があった。

正直2日目で何となくざっと回ったもんだから、これ以上いる必要も無いかなと思っていたのだが、何だか体に異変が…


腹が痛い…


別にピーヒョロロなわけでは無いのだが、一定の間隔で刺すような痛みがやってくる。
何にもする気が起きない、仕方ないので3日目はほとんどゴロゴロして過ごす。
4日目にはまぁ、マシになってきたので、移動する事に。

次の目的地はインレー湖。

ヤンゴンから同じくPyayを経てやって来たお馴染みの香港カップルと共にバスで行く事に。

PM7:00発のバスなので4日目は3人で買い物したり、カフェに行ったりまったり過ごす。

世界唯一のTanakha博物館。冷房が良く効いていたので長居。


マーケットでお買い物


バックは2000kyat!

ピックアップのバスが来て街の郊外のバスターミナルへと向かう。
到着予定時間はAM4:00との事。

さて翌朝。着いたのはAM3:00。バスの到着時刻程当てにならないものはない。
インレー湖に入るにもBaganと同様入域料金がかかるとの事。しかし…

インレー湖の周辺には幾つか街があり一般的にはNyaung shweという街にやってくる。やたら犬が多く、大変恐ろしいものの、凶暴では無いのが幸い。
星空の下ゲストハウスを探す。目星をつけていたので路頭に迷う事は無かったが、中々遠い。実は超遠回りをしていた事に後で気づく。

4時頃にゲストハウスに着くと誰もいない。しばらく呼ぶとおばちゃまが出てきた。
wifiなし、朝ごはんなし、それでもいいの?」という言葉が第一声。

999GuestHouse、一泊6000kyat。

ヤンゴンのShan Stikey Noodle(シャン州の麺は有名)のお店も999という名前だった。
999と言うのは何か特別な数字なのだろうか?
因みに969と言うのはビルマ西部の仏教過激派集団の標榜している数字である。

世界三大仏教遺跡 Bagan

結局Baganには3泊した。
とにかく至る所にパゴダパゴダパゴダパゴダパゴダパゴダパゴダパゴダパゴダパゴダパゴダパゴダパゴダパゴダパゴダパゴダパゴダ…

pyayから夜行列車に乗ること約10時間。今回の電車はそこそこ揺れまして、多分2,3時間しか寝れなかったように思う。


何となく深い眠りに入ったと思った瞬間Baganに到着、何者かに起こされた。
あ、いい人!と思ったら案の定タクシーの運ちゃん。
NyaungUと言うのがBagan近くの町で安い宿もあるとのことだからそこに行きたかったのだが、そこまで6kmくらい。運ちゃんは初め12000kyatと話しかけてきたので、歩いてこうかなぁと思っていると。白人のおっちゃんに声をかけられる。今3人だから4人で割り勘しないか?とのお誘い。歩いても全然良かったのだけど、それを断るのも何なので、タクシーに便乗する事に。
結局交渉の末一人当たり1500kyatになった。
さてしばらく走ると今度は何とBagan地域に入るのに外国人は1人25000kyatを支払わなければならないとのこと。知らなかった。
おっちゃん(カナダ人のデイブ)は「ちょっと話を付けてくるわ…」と臨戦態勢。
5分ほどの交渉の末に…


皆ちゃんとお支払いしました(当たり前)。
流石にここでは値切れんだろう。デイブはスーチーさんに電話する程の勢いだったが…
その後は無事に街に到着し、やって来たゲストハウスはPann Cherry Guest House。4人なのでダブルルームを2つシェアする事に。私はアメリカ人の男の子とシェア。
一人当たり$7。

まぁ、そこそこ。

その後E-bikeなるものをレンタして二人乗りで遺跡めぐりへと向かう。



夕日も見れて満足(^.^)

あなたが出会った時は

物乞いをしてきた子どもにポテトチップスを買った。
なんて不健康なものを買ったんだということはちょっと置いておく。

Pyayのナイトマーケットに行ったのだが、食べ物を探していると小さな男の子が突然手を差し出してきた。小さく首を振ってそのまま過ぎ去って行った。
腹ごしらえも済み、その晩の列車の為に(といっても翌朝の為だが)何かつまむ物を探していた。
ビルマにやって来て大きな変化があった。それは児童労働が平然と行われていることだ、物を運んだりする肉体労働の場面から、店で物を売る仕事まで、あらゆるところに子どもたちが溢れかえっている。
旅に出る前の2年間は子どもと関わる仕事をしていたので、それを見るたびに同年代の日本の子どもたちの顔が浮かんだ。
さて、マーケットではバナナを探していた。何故ならそれが一番私にとって好ましい果物だからだ。しかしそこには他の果物(マンゴー、ドリアン、リンゴetc)はあってもそこにバナナは存在しなかったのだ。そこでも当然のように女の子(小学校4,5年生くらいかな)が売り子として働いていた。彼女は別にいかにも観光客感丸出しの観光客である私に声をかけてきたりすることもなく、仕事をしていたのだが少し目が合い、こちらもジッと見ていた。
さて、バナナがないので何か別のものをと思い辺りを見渡すと、透明なビニールに入ったポテチに目がいった。別に好きでもないのだが、とりあえずそれを手に取ることにする。
するとそこに今度は先ほどとは別の兄妹の物乞いの子どもがやって来た。
普段私は物乞いに対しては何か渡したりということはしない、しかし何故だかその時はこのポテチを一袋余計に買って一つあげようという考えたが頭に浮かんだ。何故だかわからない。
そうして一袋のポテチを渡した。彼らは貰うとにこりともせず背を返し立ち去って行った。
ふと視線を感じ後ろを振り向くと、先ほどの果物売りの少女がこちらをジッと見ていた。睨みつけているのとは異なるが、穴の開く様な視線をこちらに投げかけていた。
そのままそこを立ち去ったのだが、少し進んで振り向くとまだ彼女はこちらを見つめていた…

とてもきまりが悪い気持ちが残った。何故彼女はあの様に私を見ていたのか。
瞬時に浮かんだ考えは「あたしは働いてるのにどうして彼らは何もしないで食べ物を得ることが出来るのか?」という視線だったのではないかということ。
基本的な私の考えとしてはただ無条件に何かを求めてくる人には基本的には何も渡さないということ。これがいいのか悪いのかはよく分からないが、逆に何か物品を持ってきた場合にはそれを買うという事は時々してきた。
例えば思い返すとボリビアで謎の青いジュースを売ってきた少年からそれを買った(その夜腹を下したのはそのせいではないかと後から思ったが…)。

色々考えさせられる出来事だった。

Yangon Press

ヤンゴン市内を歩いていたら、何やら日本語の看板を発見した。日本料理屋だった。
日本料理屋には特に興味は無いのだが、そこにはとても興味深いものが。
「Yangon Press」
5月号である。ご自由にお持ちくださいと、ラックに幾つか入っていた。
この後8時間の電車の旅が待っている、当然一部貰っていった。

読んでみると、中々内容がしっかりしている、ビジネス、政治から観光、エンタメまで、幅広い分野に関する記事が掲載されている。
一面には編集長の一種のこの国への愛が語られていた。
かなり面白かったので幾つか興味深い記事をピックアップ。

1.アジア開発銀、経済成長率ASEAN最高と発表

だそうです。ビルマ経済ウナギのぼりのようです。以前の記事でも書いたが、ビルマの一人当たりGDPは2015年度の値で1291ドルだが、これもぐんぐん上がって行くのだろう。
ヤンゴンプレスによると8.4%とASEANで最高の成長率だ。
この数字が何を意味しているのかとても期になるところだ。市民までこの経済成長の恩恵が及んでいるのだろうか。
例えばフィリピンも成長率も6%とかなり高いのだが、市民までその成長の恩恵が及んでいないらしい。いわゆるトリクルダウンは起こっていないようなのであるが、その影響もあり市民のポピュリズム的な投票行動へとつながり、今回フィリピンは『フィリピンのトランプ』ことドュテルテ大統領が誕生する背景を生んだようだ。

ビルマの政治と経済成長の関連などに詳しい人がいたら是非教えてもらいたいなぁ。

2.関空から化学消防車がモーラミャイン空港へ無償譲渡

操縦の為の日本人による5日間の訓練も施されたとのこと。素晴らしいではないか!
今回は外務省の「草の根・人間の安全保障無償協力資金」が利用されたとの事であるが、こういう地味な活動というのは中々一般の人々にまでは伝わってこないが大事よね。

3.ミャンマーが世界一の米消費国へ

一人当たり年間210kg。一日あたりにすると575gだから、だいたい3合ぐらい。
ベトナム190kg、タイ150kg、中国100kg etc…と紹介されている。
年間の米消費量が1000万トンくらいとの事なので、ものすごい量だ。レストランでも必ずと言っていいほど、ボールに入った大量の米がテーブルに運ばれてくる。
うろ覚えだが、日本は800万トンとかかな?日本はビルマよりも人口が約2.5倍でその数字だからいかに米を食べているかがよく分かる。

4.前大統領が政権移譲後に僧侶に

おおっ!流石仏教国だ。僧侶にといっても今後も政治活動を続けるとの事だが、面白い。

ビルマ唯一の世界遺産Pyayへ!

ビルマには世界遺産は一つしかない、しかもそれはあまり有名ではない(と思われる)。何故ならそれらはビルマに行った旅行者の話題にあまりのぼらないからだ。

有名な観光どころで言うと、ヤンゴン、バガン、マンダレー、インレー湖あたりが行くべきところのマストとして挙げられることが多いが、ビルマ世界遺産はそれらの街には無い。
とはいえビルマ最強の観光地は世界三大仏教遺跡に挙げられるバガン遺跡だろう。以前近くが開発されているからとか何とかで世界遺産登録が見送られたようだが、世界遺産への登録は秒読み段階にあるようだ。民主化と共に今後益々観光業の発達していくであろうビルマであるから、バガンもより観光地化が進むのだろう。

話を戻して世界遺産であるが、何でもかつての王朝の遺跡らしく南北に点在している。全部回るのは時間も費用もかかりそうなので、丁度ヤンゴンとバガンの中間に位置するPyayという街に行く。

ビルマ国内の交通手段は飛行機、バス、列車などが主にあるが、列車が一番安い。その分時間がかかるのと、揺れがとにかくハンパないらしい。とはいえそれがある意味ビルマ旅行の一種の醍醐味ではないか?揺れてなんぼのもんでしょ。
という事でチケットを買いに中央駅へ。中央駅と言っても中は薄暗く、そんなに混み合っている様子もない。ヤンゴンからPyayまでは午後1時に一本だけ列車が出ており、約8時間かかるとの事。
一般的にはビルマの列車は寝台を最高位として、一等、二等と三段階の値段に設定されている。しかしPyay行きの列車は二等席しか無いとのこと。
さて気になるお値段だが、1950kyat。
うん、安い。大体10kyatで1円と考えていいからまぁ200円くらい。
中国の列車も安いなぁと思ったが、あの時は桂林から南寧まで約5時間乗って54.5元だから大体900円くらい。
まぁ、それでも安いけど段違いだね。

出発前にチェンライで出会って一緒にちょっとヒッチハイクもした香港のカップルと一緒にお昼ご飯。何でもシャン族のヌードルが食べられる店が近くにあるらしい。そういう観光情報にとても疎い私は「何だそれ?」と聞くと笑われた。チェンライでも名物のしゃぶしゃぶもどきを知らなかったので、同じ轍を踏んでしまった。

美味。

事件が起こる。
これまでずっと一緒に旅をしてきたビーサンの鼻緒が千切れてしまったのだ。実はこの一月ほど今にも切れそうな状態で使用し続けていたのだが、とうとう逝ってしまった。それを彼らに見せると、「まだ履いてたんだ」と笑われた。チェンライで一緒だった時にもそろそろ切れそうだって話をしていたのを思い出した。

さて列車である。

ホームに行くと警察官が席までわざわざ案内をしてくれた。とてもありがたい。
列車はと言うと、そんなに揺れなかった。なので特に報告する事もない。
向かいに尼さんが座っていて、一言も英語が通じなかったので、こちらも日本語で対応してほぼ意味不明の会話をしたくらいで後はまっとり外を眺めていた。外の風景は基本的に水田でところどころに村があるが、その繰り返し時々パゴダなども見られる。天井のスピーカーから音楽が流れるが、音量は大きいのだが、列車のガタンゴトンの方が大きいので、音楽はあまり気にならない。シートはプラスチック。何となく木製の座席を想像していたので、ちょっと期待ハズレ。まぁ、まだまだこれからも列車にはお世話になると思うので、その時はまたその時で。


ヤンゴンの若者

ヤンゴンの若者は何となく日本のマイルドヤンキーを彷彿させるセンスをしている。日本のマイルドヤンキーと大きく異なるのはこっちは男子もロンジーを履いている点、ビルマではエグザイルは流行っていない(たぶん)点である。
多くの若者はピアスをしたり、髪を金色に染めたり、ツーブロックにしたり、タトューが入っていたりと、比較的平均的アジアの若者感がするが、何となくゲットーチックな街並みや、他民族性などから、どことなくギャングスター感が強い。

児童労働バリバリで夜ご飯を食べたゲストハウス横のレストランは、中で注文とったり運んだりするのは日本だったら小学生から中学生くらいの少年たちだった。

ヤンゴンまで来てちょっと思った事

ヤンゴンにやって来たが、ムスリムの姿がやたら目につく、調べてみるとミャンマームスリム人口は約4%との事だが、ヤンゴンではかなりの存在感を放っている。モスクもこれでもかというほどに数多く存在している。
とにかく他民族なのが印象的。そもそも言葉も分からないので、人々が何語を話しているのか分からないが、基本的には皆んなビルマ語を話しているのだろうか?
ビルマではパーリ語仏教聖典とかによく使われるやつ)が古典語の地位にあるとの事で、パーリ語からの借用語ビルマ語には多いとの事(だからと言って何か理解できる訳では無いのだが…)。
文字もビルマ文字はパーリ文字から来ているようだ。確かに丸っこい感じが良く似ている。
ビルマは元々かなりの大国で周辺諸国ともしょっちゅう戦争をしていた。
ビルマ人というのは氐族の末裔であるとも言われているらしく、その起源は1000年以上前の中国南方であると言われている。
つまり元々ここには別の民族(モン族とか)が暮らしていて、そこを外来民族であるビルマ人が最終的に支配するようになった様だ。
だからビルマはそもそも侵略者による国家であるというような事を言う人もいるようだ。まぁ、確かにそうとも言えないことはないが…
日本も元々先住のアイヌを駆逐して国家を築いた訳だから、似たようなものだろうか?
最近トランプの不法移民を追い出せという言葉に対して、不法移民がやってくる前のアメリカと題して、ネイティヴアメリカンの各族名が挙げられたアメリカの画像を時々SNSなどで目にする。
超極端に言ってしまえば、20万年前のアフリカの女性、通称ルーシーに起源を持つ我々はそこから世界各地に広がっていった訳で、その過程は一種の侵略の歴史か?人類の歴史は戦争の歴史であるという言葉もよく聞かれる。
日本では比較的多くの人が、日本は単一民族国家であるというような考えを持っているような気がするが、多くの人種的な混合があるし、日本が単一民族だと主張する事自体日本に暮らすマイノリティーに対する配慮が欠ける。
最近フランス人に
「お前は純粋な日本人か?」
と聞かれ
「純粋ってどういう事だ?」
という話になった。
日本国民たる要件というやつは憲法だかに書かれているが、それが純日本人であるという事では無いし、そもそも純日本人という定義付けがそもそもくそみたいなものだから、あまり考えようとは思わない。

ビルマの話だが、ビルマはイギリスとの3度にわたる戦争の末に植民地化される。その影響もあり、インドや現在のバングラデシュからの移民が増えたようだ、そこからイギリスは分野ごとに人種別で職業を配置したらしく、それにより当時ビルマ人の地位は貶められたらしい、そういった事もあって民族間の隔たりは高まったとの事。
その後色々あって、日本でも有名な独立運動の英雄アウンサンが登場し、独立へと漕ぎ付けるものの、暗殺され、軍政が続き、アウンサンの娘のアウンサンスーチーさんが民主化運動のリーダーになるも軟禁生活が続き、ようやく直近の選挙でNLDが第1党になった訳であるが、ロヒンギャの人権問題は世界的にも超有名になっている。最近ナショナルジオグラフィックビルマの過激な僧侶集団に関する記事を読んだが、仏教も過激化するとこんなにも恐ろしいものになるのかというものだった。
現在では開発後進国に指定されるビルマであるが、一人当たりGDPは1291ドル

せっかくビルマくんだりまで来たのだから色々見れたら良いのだが…